日   時  2010年(平成22年)11月16日(火)〜17日(水)
行 き 先   土佐・龍馬の旅
行    程 1日目:広島駅集合〜福山駅〜山陽道=瀬戸大橋=善通寺IC〜善通寺・四国館で昼食〜善通寺IC=高知道=高知IC〜
     龍馬であい博〜高知城〜ホテル南水宿泊・懇親会
     
2日目:朝食後〜龍馬の生まれた町記念館・龍馬生誕地散策〜桂浜〜かつお船で昼食〜南国]IC=高知道=瀬戸大橋=
     山陽道〜福山駅〜広島駅
    
参 加 者  15名
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」も終盤に向かい盛り上がりを見せる折、【土佐・龍馬の旅】と題しての秋のリクリェーションを実施致しました。
長い道のりでしたが天候にも恵まれ、当初の予定にはなかった「高知城」も見学し、バスのサロンシートでは龍馬談義に、よもやま話に花が咲き、懇親会場では自己紹介を兼ね、思い出話や近況を語り、また、得意の喉を披露するなど、和気あいあいと楽しい二日間を過ごしました。

   11月16日(火)  
 与島の関所で旅行費用支払い
  
出発前に記念写真(拡大)
 
バスにて出発
 
第八十九番所「四国館」で昼食   
食べ方の説明書付の「釜あげうどん」
 
美味しく食べる説明を聞き

大小、多数の水車がお出迎え

土佐・龍馬 であい博
左・とさてれらす=右・龍馬ろまん社中

龍馬ろまん社中会場は撮影禁止


 龍馬たちが2階から出迎え

珊瑚抹を用い製作された

土佐の祭りの衣装展示

土佐の工芸品展示
 
 高 知 城  

城門を入ると板垣退助が迎える


本丸を守る「詰門」
 

高 知 城(拡大)

 
 懇 親 会   
龍馬の屋敷跡に建つホテル南水 挨拶をする坂井支部長 渡邊会員の乾杯の音頭で開宴
四国勤務時代を振返る明賀会員 龍馬への思いを語る中島会員  自己紹介から思い出話や近況報告へとついつい話が長くなる
得意の喉を披露される、明賀会員・菅野会員 中島会員の一本締めで中締め 二次会風景
 
 11月17日(水) 
ガイドの説明に聞き入る

乙女姉は体重100`あった?

坂本龍馬実物大の像
龍馬の生まれたまち記念館
 
展示の一部

坂本龍馬も一休み

 龍馬の生まれた町散策

町民が竹藪を切り開き、自力で石垣を築き
開発した片側町。職人が多く住むようになり、
龍馬が少年時代通った日根野道場もあった。

坂本家の屋敷跡に建つ、記念碑の前で記念写真
  
 雑学:龍馬の生まれ育った町

 龍馬は本町(現在の上町一丁目)の郷士・坂本家に次男として生まれた。本家は才谷屋という裕福な商家である。当時の城下町は城を中心とした武家の町である郭中(かちゅう)、龍馬たちの住む下級武士や職人、商人の町である上町と下町に町割りされていた。土佐藩の身分制度は厳しく、郷士の家に生まれた龍馬は裕福といえども、郭中に居住することは出来なかった。
 龍馬の生まれ育った上町には当時、下級武士の他に職人や商人たちの約800軒の家があった。中でも数が多いもので鍛冶屋・紺屋がともに26軒、大工が18軒確認できる。また、日雇い・萬屋なども職業として存在し、とても興味深い。このように様々な職業の人々が軒を並べ、お互い助け合いながら、活気溢れる暮らしをしていた。
 この町で、裕福な商人を本家とした龍馬は、上士と言っても商人から借金し、頭が上がらない現実を見つめ、また専門的な知識を教えてくれる職人や商人、大勢の家族に囲まれて成長した。このような環境で、幼少時代は落ちこぼれとからかわれた龍馬も、伸び伸びと心大きく育ち、自然に平等意識を身に付けた。後の身分差を超えた行動力は、この町が育てたと言えるのではないだろうか。
                                                  (高知市立龍馬の生まれたまち記念館 上野麻衣)

 桂  浜
桂浜は、龍王岬と龍頭岬に抱かれた浜辺で、大町桂月が愛した土地である。龍王岬の巌角には海神を祀る龍王の祠があり、巌頭からは土佐湾の波濤を脚下に万里の海が眺められる。  龍馬銅像

桂浜旧台場(砲台)の上にある。昭和3年(1928)高知県青年の建てたもので、彫塑は高知県出身の本山白雲。
像の高さ5.25m、台座約8m、総高約13.5m。
       (集合写真をクリックすると拡大)

旧台場から浜辺へ
 
龍 王 岬

龍馬の銅像の目線で太平洋を望む
 
雑学:桂浜の龍馬像と室戸岬の慎太郎像

 桂浜に建つ坂本龍馬像と室戸岬に建つ中岡慎太郎像。高知を代表するこの二つの銅像が向かい合っている、という話をよく聞く。ところが実際は、龍馬が東に、慎太郎が真南に向かって建っている。
 では、なぜ「向かい合っている」と言われるようになったのか?。
 それは、二つの銅像製作者・本山白雲が昭和10年(1935)5月7日の慎太郎像除幕式で語った次の言葉にあった。「顔面を少し右に向けているのは、坂本先生と相対している姿勢を取るためです」。(中岡慎太郎全集)
 また、銅像建設会会長の野村茂久馬は「慎太郎像は同志である龍馬の銅像と、お互いに呼びかけ合い満足げににっこり笑っているようだ」と式辞で語っている。
 これらの言葉が次第に一人歩きして、二人が「向かい合っている」と言われるようになったと言う。(北川村立中岡慎太郎館 豊田満広)


  かつお船(昼食)
かつお節の製造実演に見入る
 
かつお節の色々を味見
 
予約で一杯の大食堂で昼食